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無題

サトノレイナスの次走はダービーとのこと。
馬のことは馬主さんが決めること。
私たちはその挑戦を、全馬無事にと見守るだけだ。

今の競馬は、古馬混合戦でセックスアローワンスもあるだろうが、牝馬の活躍は珍しくない。
私が子供の頃は、古馬で牡馬に牝馬が勝つなんてことは、なかなか見られるものではなかった。
相手がナリタブライアンだったからアレだけど、チョウカイキャロル、ヒシアマゾンなど、血統評価も牡馬と遜色ない優秀な牝馬はいた。

エアグルーヴからか?
古馬牝馬中距離路線ではなく、混合戦で戦い続けたのは。
何度も書いているが、この頃はあまり競馬を見てないけれど、見ていた人たちは時代の変化を感じていたのではないか。
彼女の挑戦から道は開かれていったのかな?

牝馬のダービー挑戦といういうと、ウオッカの話が出てくる。
サトノレイナスが勝利したとすれば、牝馬のダービー馬。
素直に賞賛であり、ウオッカとは何の関係もない。
言ってしまえば、牝馬であることすら意味がない。
牝馬にも出走権が認められていて、すべてのホースマンが目指すのがダービーという頂なら、性別は関係ないだろう。
ダービーに勝てる馬は、ダービーに出られる馬だけだ。

「サトノレイナスが勝ったらウオッカファンはどうするの?」

そんな質問に返す言葉は1つ。

「じゃけどしたんか?」

まず断っておくが、私はウオッカファンではない。
ただの酔っぱらいだ。
ウオッカはウオッカであり、それ以上でもそれ以下でもない。
少なくとも私にとっては。

ただ、物語は作るものでも、作られるものでもないと思う。

桜花賞、皐月賞が終わった後のダービーまでの間。
死ぬまで、ずっとウオッカてなんだったんだと考えるのではないか。
なぜ、休みを取ってあの時府中にいたのか?
首都圏に住み、何度も機会はあったはずなのに。
なにがウオッカを、俺をダービーに向かわせたのか?

その都度、答えは出るだろう。
答えは一つではないだろう。

レースが終わり、俺は悪友とゴール板前にいた。
さあ帰ろうとなったときに、こう言った気がする。

「ウオッカを信じられてれば、総流しで万馬券だったね。これからウオッカで万馬券になるようなことはないかもね。」

この時のことがなければ、ホクトスルタンの単勝を握りしめ、新宿で立ち尽くすこともなかったと思う。
ウオッカのダービーは、ウオッカも含んだ3連複ボックスを買って外れた。

秋天もそれがあったから、儲かるとかじゃなくて、馬単2点で、長い審議の後の震えがあったと思う。
今の俺なら、まず100円でもウオッカの単勝を買えるはず。
たった1人でも、自分の命の次に大切なものを賭けられると思う。
賭けることは選択で、信じることではないのかなと思う。
不確定な未来を信じ賭ける。

ウオッカは俺にも、混じり気のないものを教えてくれたのかもしれない。

運命は運ぶ命。
宿命は宿る命。
ウオッカが宿り運ばれた先は…
運命は変えられるかもしれないが、宿命は変えられない。
ウオッカは生まれた時からダービー馬だったのかもしれない。
だから俺は天馬だと思ったのかも。

タニノの結晶とトウショウの力が合わさった時、すべては決まっていたのかもしれない。
エナジーのクリスタルがウオッカなのかもね。
そう考えると、あれは馬の姿をしたエネルギーの塊だったのか。

Zガンダムじゃん。
ウオッカはZガンダムだったのか。
関わった人の思いを増幅させ具現化し力とする。

ん?
俺またわけわからんこと書いとるな。
もっとうまいこと時流にのったこと書いたらええんやろうけどね。

酔うとるんやろか…

pirocks

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