「あ…」
また、思い出したくないものが増えるのか…
馬はおそらく…騎手は?
Twitterで流れてきた、そのシーンの切り取りを何度も見返す。
わからない…頭から落ちた?
とにかく福永祐一の容態が気になる。
ハードラックとダンス。
競馬は避けられないことがある。
レースをしているから…
誰が悪いわけでもない。
それをわざと作り出すような動きをしなければの話だが。
そんなやつがいたら競馬界追放だろう。
福永祐一がどんな批判にも、自分が持って生まれたもので耐え、積み重ねてきたもの。
また、騎手としてではなく、これから積み重ねていくだろうもの。
やっとここまで開花させてきた、日本競馬界が作り出したといってもいい貴重な存在が、たった一瞬の不幸で失われてしまう事もある。
例えばF-1は、ドライバーの首の保護、クラッシュした時にドライバーに直接パーツが当たらないような構造物を設けるなど、安全性の追求が進化している。
競馬はどうだろう?
近いのは2輪のモータースポーツかな?
2輪もスーツなど進化しているのだろうけど、競馬は生き物でやるレース。
重量的な制約が大きく難しいのか…
もちろん、なんの専門家でもない、ただの1ファンが考えられるようなことは、議論されているだろう。
避けられない不幸があるなら、そこからもたらされる結果について、減らせるリスクがあるならと思う。
3頭が絡んだ落馬事故。
2頭は残念な結果になったが、1頭と3人の騎手は生命に異常はないらしい。
忘れがちだけど、やはりサラブレッドは生命を燃やして走っているのだなと思う。
博打の駒にしては美しすぎるんだよ…
福永祐一には、ゆっくり休んでもらって、次のステップを考える機会にしてもらおう。
彼を失うことは、日本競馬の停滞を招く気がする。
馬も人も開花させるのに時間がかかる。
そして、運良く開花するのは一握りだ。
少し調べてみたら、2輪のMotoGPはエアバッグのスーツがあるみたい。
日本には世界的なエアバッグメーカーがあるし、お金はかかるだろうが、世界に先駆けてなのかもわからないが、JRAがメーカーと組んでなんとかできないものかな。
競争の中で、ギリギリのせめぎ合いがあり、レースアクシデントはなくならないだろう。
また、そんなギリギリの勝負でなければ我々は感動したりしないだろう。
その危険の中に我々を熱くさせるものがあるのかもしれない。
だけど、不幸なことが起こると、手放しでは喜べない。
喜べるのはただの博打打ちだけだろう。
自分が勝てれば良い。
自分だけが当たれば良い。
それが博打打ち。
Twitterを見てると、「馬券が当たっても、応援してる馬が勝っても、あんなことがあると素直に喜べない…」
そんな声を見かけた。
ああ、これが競馬ファンだ。
競馬と共に生きる人たちだ。
皆で金を出し合い、誰かがそれを取る。
多くの人は取られる。
それが仕組みだが…
競馬ファンは、自分を馬に投影し賭けているのかもしれない。
夢を見てるのだろう。
誰もが悪夢で目が覚めるなんて嫌だろう。
目が覚めて、なんだかわからないが良い夢を見た気がする。
そんな朝を迎えたいだろう。
我々ファンは祈る事しかできない。
なら祈ろう。
施行団体、何かが出来る人は是非お願いしたい。
今回のようなことが起きた時、運が良かったから助かったではなく、こんな安全装備があったから助かった。
そんな未来が良い。
それでも避けられないものがあるとわかっていても。