最終レースが終わった東京競馬場芝コース。
セレモニー、インタビューを終えた福永祐一が、多くの仲間とファンに見送られ地下馬道へ消えていった。
哀しむことはない。
涙もすぐ笑顔に変わる。
これは終わりではない。
始まりの合図だから。
彼は表舞台から消える。
彼が信じたものを表現するために。
ファンのために、仲間のために…
なによりもすべては馬のために…
仲間とセレモニーを見ている時、ぽつぽつとそれぞれの福永祐一が語られていた。
メンバーの中では若い方の俺は、それほどの思入れもなく、語るほどのこともない。
こんな時は、人の顔を見ない。
一緒に涙を流してやれるほど、酒にも福永祐一にも酔ってないから。
俺以外は、もっと何かを語り合いたそうだった。
でも終わりはくる。
蛍の光が流れ、それぞれの帰り道へ。
こんなことを共有した人たちだ。
きっとまた会える。
その時にまた続きをやればいい。
今週も、やれ編集長が万馬券当てて、「あきのすけさんwith friends」と鰻食べたとか、ピロ理論パドックが引き続き好調で、勝ちはできなかったが、たくさん的中したとか、そんなことを書けばいいのかもしれん。
でも、今の俺はそんな気分じゃないんだ。
あ、ちなみに「あきのすけ」さんは、YouTube「博打の天才」しげる300絡みです。
競馬場で何回かお見かけしてたんですが、あまりゆっくりお話しする時間がなく、ついに今回「いつか飲もうね!」が実現しました。
お友達と2人、それぞれの福永祐一のお話を聞かせていただきました。
聞くばかりで、俺の中の福永祐一は話せなかった。
編集長や「あきのすけ」さんたちとは、過ごしてきた時間も環境も違う。
田舎で生まれ育ち、競馬場はテレビの向こうだった俺。
関東や関西、大きなレースをやる競馬場が近くの人とは違う。
競馬中継もメインの1時間だけ、夜中に重賞回顧があったかな?
サイレンススズカ、グラスワンダーくらいで1度途切れたし、上京してからはいろんなことがあったし、土日は仕事やったし、競馬場もほとんどいったことない。
編集長と出会って、年に数回、東京競馬場で遊ぶようになったくらい。
馬券も、ネットで買うようになった10年くらい前までは、ほとんど買ってなかった。
WINSに行ったのも、菊花賞のホクトスルタンの単勝買うためくらい。
その話はいろんなとこで書いたから、気になる人は調べてみて。
いや単純に、騎手を応援したりがなかったのかも。
ウオッカやホクトスルタンに誰が乗ろうが、あまり関係なかった。
人の顔を覚えるの苦手だし、今も騎手、調教師、オーナーを見ても誰か誰かわからん。
もちろん、馬を見てもわからん。
すぐに、「あっ!〇〇だ!」とか言えるファンの人はすごいと思う。
たぶん俺は人に言われたり、ゼッケンがないとウオッカもわからん。
俺たぶん競馬好きじゃないんだよね。
東京競馬場は好きだと思う。
楽しいからそこにいるだけかな。
1人でできるしね。
好きじゃないってことはないかもしれないけど、みんなほどは夢中じゃないと思う。
だって、すべてのことを忘れていくもの。
知識も浅いしね。
takuさんと話すと楽しいから、最低限の血統の知識を。
りっちーと話すと楽しいから、最低限の競馬文化を。
編集長と遊ぶと楽しいから、最低限の博打を。
たったそれだけのことで、どこへ向かっているか知らない。
ただ胸が激しく鼓動を打つから。
ベンジー、浅井健一はそんなふうに歌った。
俺はそんな気分で歩いた。
たどり着いたら、いつも東京競馬場。
近所だから。
踏切を渡って坂を下ればそこにあるから。
競馬場の近くに住め。
編集長に言われて、3連複50万ではじめた2度目の上京物語。
はじめの1年はコロナで競馬場に入れなかったけど、最近はわりと簡単にネット予約で入れて、大きなレースでも生で見れる。
朝起きて気が向けば競馬場へ。
競馬場のある街へ身体が馴染んできたのかな?
若い頃は酒場が近くにないとダメだった。
酒場が近いとダメになる。
酒よりも馬の方が健康的なのか?
駅に向かう「あきのすけ」さんたちを見送り、正門で編集長と別れて、くだってきた坂を登る。
部屋に帰ると、月曜の準備。
仕事着を揃え、朝食の仕込みをし、風呂へ入って寝る。
来週、福永祐一はサウジへ。
俺はいつもの仕事へ。
各駅停車のスピードで、日々は流れてく。
目的地は知らない。
知りたくもない。
週末になれば、また競馬場へ行くだろう。
開催会場でなくても。
ランチついでに、休日のお散歩に。
みんなが「お出かけ」する「特別な」場所は、俺にとってはそんなもん。
福永祐一が地下馬道へ消えていった日。
俺はそんなことを考えてる。
ありがとうはまだいいよな。
早く夢の続きを見させてくれよ。
日本の競馬は素晴らしいんだろ?
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