「なんだ、もう来てたのか?」
「うん。昼飯食うてからて思うとったけど早起きして暇やったけんね。」
編集長と合流したのは昼飯時。
朝から行くって言うてたのに、三度の飯より博打好きな血統なのに不思議ね。
仕事が大変なんやろな。
その後、俺はいつものように外し続け、編集長もあまり調子が良くないみたい。
でもなぜかいつもと違って編集長があんまりイライラしてない。
やっぱ馬券で勝負てより天覧でどんな競馬が見られるか楽しみなんやろな。
9レースあたりだったかな?
パドックを見て馬券を買ってトイレに行って…
どこで見たのかな…
すぐに編集長のとこに行った。
「ねぇまぢ?武豊乗り替わり?」
「おう。さっきその辺で若い奴らが言ってた。」
「まぢかぁ…怪我かな?」
「わからん。とにかく乗り替わりだ。」
「戸崎か…」
「戸崎だ。」
「残った面子で1番やろうけど…」
「残念だ。」
2人で確認した瞬間、事実を認めた瞬間、俺たちの魂は抜かれた。
ゲームセット。負けだ。
天皇賞のパドックはどれも素晴らしかった。
その中でもドウデュース、ダノンベルーガ、ジャスティンパレス、イクイノックス。
でもイクイノックスは去年の猛獣のようではなかった。
次があるし、もう1段階上は残してあるのだろう。
ビールを買って4コーナーの方へ歩いて行く。
「去年もあの辺で見たよね?」
「そうだったよな。」
「大逃げしてきてさ。」
「スタートが直線ならな。2,400じゃねぇからな。」
「んだね。したらダービーの時みたいにゲートのとこで見るのにね。」
「だな。」
「ドウデュースと武豊が抜け出してきた時凄かったよね?あれがダービーを勝つ馬の脚だと思ったもん。」
「凄かったよなあ。」
俺の頭の中ではあのシーンが再生されていた。
見えたはずのない武豊の、ここだと確信を持って追い出した顔も。
これがダービーの勝ち方を知ってる人なんだ。
新馬戦から道を作るんだよ、この瞬間のためにね。
そんなふうに感じた。
だから俺たちは…
週末、いつものように重賞予想を送った。
すぐに編集長から返信。
「俺も全く同じ理由だ。」
そうか編集長もそう感じたのか。
天覧競馬が決まって俺はドウデュースを本命に変えた。
それまでは買う気はなかった。
何をどう考えてもイクイノックスだろうと。
だが天皇陛下がご覧になるとすると話は別だ。
俺は物語の中に生きているから。
相応しくないもの、理想から外れるものには賭けられない。
そしてレースは終わった。
レースのことはたくさんの人が見ただろうし、たくさんの人が語るだろう。
ずっとずっと語り継がれるだろう。
競馬の神様は天覧競馬に、若いファンが年寄りになるまで夢中になれる物語をくれた。
素晴らしいレースだった。
ルメールは今週もレースを飲み込んだ。
強い馬でなければできない芸当だ。
そんなレースを目の前で見た。
魂を抜かれた2人が。
皆感動したのか最終レースが終わってもたくさんの人がいた。
パドックに岡部幸雄。
そしてルメールが登場。
素晴らしいレースを見たファンに最後の最高のプレゼント。
俺の耳には虚に響くだけだった。
「飯行こうぜ。酒が飲みたい。」
「わし明日仕事やけん飲めんが…まあもう少しなら大丈夫か。」
「何食うよ?」
「なんでもいいよ。」
何軒か覗いてみるが入れない。
みな予約していたのか?
多くの人が興奮を分かち合い冷まそうとしているのだろう。
なんとか開いてる店を見つけ入る。
編集長の生まれた町の有名店だった。
俺が乾杯しようと伺ってると、編集長が手酌でやりだした。
珍しい。
今日はなんか変だ。
「お疲れ様。乾杯!」
「おうおう、悪い悪い。乾杯。」
「んー。」
「とにかく飲もう、つってお前は明日があるからそんな飲めないか。」
「しゃあないよ。若い頃なら会社に電話して休むって言うてたけどね。」
「今日は競馬の話はなし。」
「そだね。」
その後、一軒だけ軽くお付き合い。
まだ足らなそうな編集長に、飲んで行きなよとさよならを言う。
別れ際に…
競馬法100周年だ。
黙許の時代があり禁止となった。
馬産振興のため財源が必要で競馬法ができた。
どんな形であれ先達のおかげで今の日本競馬がある。
裁定が甘かった。
あの騎手も調教師も一般社会なら免許剥奪、失職してもおかしくないだろう。
これからの、未来のために泣いて馬謖を斬る必要があったのではないか?
これが、剥奪からの再試験でやり直してとかなら話は別だろう。
やられた方の気持ちはどうだ?
いつまでも自分は苦しむことになる。
加害者は勝利を積み重ねていく。
俺だってあんただってそうだろ?
一歩間違えばじゃねぇの?
歯を食いしばって法律の内側で生きてるんじゃないの?
なんとかお天道様の下を歩いてるんじゃないの?
俺たちは足らないから人の倍やらなきゃいけないんだろ?
俺は虐められて一年休学したことがある。
たいしたことじゃなかったけどさ。
虐められる方にも責任がある?
あほか?
虐めんにゃなんもなかろう?
やったもん勝ちか?
そうじゃねぇだろ?
真面目にしこしこやってるやつがよ、最後に良い目を見るんじゃないとやれまあ?
徒弟制度?
昔だって下のもんに逆恨みされるようなんは碌な奴じゃねぇだろ?
ヤクザだってトイレ掃除から。
一般社会でも同じだと思うよ。
そうやって叩かれて礼儀やら仕事を覚えていくんと思うよ。
俺もけっこうやられたと思うけど、それ以上のことをしてもろうたと思うとるけん感謝しかないんやろ。
飯が食えるように教えてもろうたけんね。
そんなことをぶちまけて別れた気がする。
ほんとは俺も酒を浴びたかった。
でもそうやっていろんなものを失くしていった。
もう会えない人もいるのに。
誰も悪くない。
わかってる。
それぞれがみな一所懸命仕事をした結果。
その結果を受け入れる覚悟はしてた。
ただ武豊不在の中でとは思ってなかった。
今年はアヤがつく。
ダービー、秋天。
素晴らしいレースを見たはずなのに、俺だけ置いていかれてる。
俺がイカれてるだけなのかもしれない。
カミーユとZガンダムみたいに人の思いをのせ走る、武豊とドウデュースを見たから。
目の前でそれが起こったから。
俺の記憶が自分で作った幻覚だとしても、俺の記憶の中ではそうだから。
けっきょく上手く書けなかったな。
頭の中にはあれほどたくさんの言葉が渦巻いていたのに。
ちゃんと拾い集められなかった。
俺に書く力があれば、たくさんの言葉を救えるのに…
哀しいわけでもないし、誰かを責めたいわけじゃないんよ。
ただね…
俺は馬主さんではないしアレやけど…
馬券を買ってさ夢を見るんよね。
夢を見る代償に、命の次に大切なお金を差し出すんよね。
競馬の神様に。
最後に。
本当に凄い時計が出た。
今の馬場でサラブレッドの限界値じゃないかと思うくらい。
時計は現実で絶対。
わかってるつもりなんだけどね。
時計は絶対ではないし、いつまでもサイレンススズカに追いつけないとか思ってしまうんだ。
すでに捉えられ交わされてるんだろうけどね。
幻を追い続け、理想ばかりで何も残せない男。
働いては酒を小便に、馬券を紙屑にする愚か者。
ほんと自分のことを棚に上げて偉そうだ。
気がつくとtakuさんからメッセージ。
「それも競馬です。苦味も甘味も全てが競馬です。」
続けて…
「だから競馬が好きなんだと思います。」
詩人や…
俺が久保嘉晴なら…
「taku、競馬好きか?」
となるな。
て、俺ら世代じゃないとわからん例えをするなって話か。
「見えないものを見ようとして血統表を覗き込んだ。」
少しは若者向けになったかな?
天覧競馬となって、この秋、ジャパンカップより楽しみになった。
週末に向け、毎日ドキドキして過ごした。
時が戻せるなら競馬の神様にお願いする。
「どんな結果も受け入れますので、どうか全人馬無事に。」