何かのついでではなかった。
誰に言われたわけでもないが、誰かを代表して花束を捧げた。
出会いがあれば別れがある。
歩き出すために、線引きする必要がある。
ここまでは貴女のいた世界。
ここからは貴女のいない世界。
俺はただのクズでいい。
ただ、思いやりも優しさもない手で、ざわついた心に触るやつは許さない。
なんでかわからないが死んだという言葉が嫌い。
リスペクトがない気がする。
先週、現場に行くと競馬上司が来てた。
「リバティアイランド死んだね。」
「亡くなりましたね。残念でした。」
「好きだったのに…」
「強い馬でしたね。」
良い歳をした男は軽々しく言葉を放ってはいけないと思った。
本人に悪気はないのだろう。
そこがまた救いがない。
基本、生活苦。
金曜の夜、ワインを抱えながら、船か馬か…
どちらに行くべきなのか考えていた。
気がつくと眠っていて、目を覚ますと朝だった。
天啓てほど大袈裟ではないが閃いた。
考えるまでもないじゃないか、何を俺は迷っていたんだ…
ネットで調べると東京競馬場にも、献花台が設置されるという。
競馬に、サラブレッドに、リスペクトがあるなら、迷わずリバティアイランドに花束をだろ?
編集長が一緒じゃなくても、takuさんのおもいも一緒に花束を。
忘れてはならないおもいが、まだ自分たちにあることに花束を。
そして馬券を買って競馬を楽しむのだ。
リバティアイランドのようには勝てないだろうけど。
「もう家を出ました。」
「花束を買っていくから、正門で待ってて、馬頭観音から一緒に行こう。」
編集長からのメールに返信。
霊園の近くのコンビニで花束を買う。
ありきたりで申し訳ない気もするが、こういうことは気持ちが大切と教えてくれた先輩がいた。
葬式なんていくら包んだかじゃねぇんだ。
そこにいるのが大切なんだ。
包むのは持ってるだけでいいんだよ。
それでも俺はもう葬式、式という名なものに出る気はない。
いろいろ終わってから、手を合わさせてもらえれば良いと思ってる。
もちろん、手伝いがいるならいく。
でもそれは、手伝いであって参加者ではない。
葬式には嫌な思い出しかない。
送る気持ちに、他の人の雑念が入るのが許せない。
何かと自分の間に余計なものが入るのが許せない。
すべてにおいて、自分と同じように感じるものしかおきたくない。
とくにかなしみは形が多すぎる。
幸せなときもそうだが、かなしいときは相手を察するほど余裕がない。
だから似たような形のものしかおきたくない。
「お疲れ様、待たせたね。」
「開いてる花屋あった?」
「霊園のコンビニ。」
「あ、そっか。こっちの方にはなくてよ、ウオッカの時も花屋が開くまで待ってからだったのよ。」
「馬頭観音行こ。ウオッカ行くでしょ?」
「それがルートだからな。」
「ウオッカ行ってから献花だね。」
献花台に行くと、写真を撮ったり、指差してあーだのこーだの言ってる人たちもいたが、タイミングが良かったようで、並ばずに記帳できた。
ちらと見ると、さまざまなメッセージが書かれていた。
迷いなく、ありがとうとだけ書き、献花し手を合わせる。
心静か、無は難しいので、何も考えずに目を瞑り手を合わせる。
目を開け、もう一度リバティアイランドを見て、口の中でありがとうと唱え、さっと去る。
いつからか、墓前、神前、仏前、手を合わせる時は空っぽになるようにしてる。
願うでも祈るでもなく、ただ自分を置き、目を瞑り手を合わせる。
もっと立派な人たちや、美しい心を持った人が、祈ったり願ったりすればいい。
俺は目をつぶって、目をつぶすだけさ。
小麦色の斜面の途中でなくてもね。
さて、もう今日の用は終わった。
後は財布を空にして帰るだけや…
とかなんとか思ってたら…
ほんとに1つも当たらなかった。
ちょっとだけ、良いことしたし、良いことあるかなあとか思ってたけど。
やっぱ俗物すぎんだよなあ…
指定席取れずでウロウロして、日負けして終わりだった。
相変わらず、猿のおもちゃのような集団でうるさく、生命の次に大切な金を賭けとる緊張感などなく、かといって固唾を飲んでレースを見守るというのでもなく…
もう競馬場は来なくてもいいかなと思った。
仲間たちが来れば、内馬場でゆっくり酒飲みながらくらいかなあ…
パドックが見れんのが残念やけど。
馬券で儲けたいとか、当てたいとかもうない。
当たれば生活が楽になるけどくらい。
生活賭けてヒリヒリするようなのはむいてないし。
当たっところで泡銭やし、ろくなことせんしね。
馬券も八大競争と、クラシックトライアルくらいで良いかな?
また見に行きたくなる馬が出てくれば別やけどね。
金のないのもあるが、もう自分が勝負したろう!て気になってないもの。
推理は競艇の方がコクがある気がしてるし。
馬の部分より、人の部分、特に欲が見えて嫌になっとるのかもね。
日曜日はダービーより楽しみな春天。
土曜、競馬場で繰り返し流れるライスシャワーのレースに辟易してた。
また物語を煽ってるな…
良いレースで、生き様が物語になる名馬なのに…
こんなCMより、1冊の本を作った方が良いのに…
どんどん美しさから離れていく。
◯ョンでいつまでも商売する◯ーコじゃねぇんだからさ…
誰かが興味を持って、知りたくなった時に、真実に近いものがあればええんじゃないの?
レースを切り抜いて、駆け抜けた時間を切り抜いて、何が伝わる?何が残る?
昔は◯◯がいた、彼ならこんな言葉にしてたろう…とかじゃなくてさ、そう思うならお前が語れよ?語り継げよ?
俺みたいな、ちゃんとしてないやつが毎週書いてどうするよ?
ちゃんとした人がおればそれでええのに…
最初に総括。
レーンは120点。シュタルケ100点。武豊、池添は90点。
馬券は狙いはバッチリ。
レーンと池添のそれぞれ1頭軸な気持ちのフォーメーション。
ショウナンラプンタの距離対応は怪しいと思って切ったが、鞍上は競馬人間国宝武豊。
能力は1番だと思い、鞍上は不安も2列目まで入れさせられたジャスティンパレス。
それだけの話だった。
鮫島克はファンクラブ以来、今年2度目の炎上。
レース後、「向正面で無理せず押し上げて…多くの人の支持に応えられず申し訳なかった。」
多くは語るまい、シュタルケ、レーンの手腕を際立たせる好騎乗だった。
あそこで待てれば、シュタルケとレーンは冷汗をかかせられたと思う。
そうなるとレース後に、「たかが短期免許2つ。天皇賞馬は伊達じゃない!」とのコメントが出たはず。
しかし、近年これほどに素人集団、馬券購入者から批判された騎乗てあるのかね?
まあ、大阪杯が競艇でいうとこの展示航走だったら、あの展示見て買う方がアホと言われればそれまでだが…
鮫島克て、もう少し上手いと思っていたが…
俺はシャークには触らんが、多くのファンの逆鱗には触れたな。
ちなみにレース見てた時の俺。
「池添好スタート。レーンがいやらしい位置におるなあ。」
「ビザンチンは最後方。ジャスチンは?その横?まぢ?あるぞ!」
「そのまま、そのまま…いくなよ鮫島…」
「いーよ、いーよ、松本イーヨ!鮫島我慢や!」
「え?行った?まだよ、まだよ、それは早漏よ…」
「行くな!行くな!このバカタレがぁ!」
「おわた…やっぱ鮫島か…ビザンチンは届くんかいの?」
「レーンは我慢したな。ん?豊いった?」
「池添キツっ!豊…やりすぎ。」
「レーンよね。そらレーンになるよね…」
「え?ビザンチン?シュタルケ?」
「レーンこらえるやろなあ…」
ただ、俺には見えたね。
ビザンチンの外から上がってくるジャスティンが。
ルメールとは言わん、戸崎なら…
ま、なんにせよジャスティンパレスだけ別のレースしとったんやろな…
改めて、自分の意思で向正面から進出し、その覚悟を鞍上が察し捲りきり、4角先頭から押し切ったコンビこそ至高であったなと。
菊花賞、春天を勝てばステイヤーではない。
だが世間はそうではないらしい。
友は彼を最後のステイヤーと言ったが、その意味も通じない時代になった。
それなら、私が言い直そう…最後の純粋ステイヤーと。
前後もよく知らぬ子供の私が胸を鷲掴みにされた第111回天皇賞馬。
疾走の馬、青嶺の魂となり
ライスシャワーは生きている。
俺が忘れないから。