「ウオッカよ、お前がいなくなって寂しくてたまらない」
伊集院静の小説の題名を借りた。
小説の題名は、愚者よ、お前がいなくなって淋しくてたまらないだ。
私は伊集院静の物語が好きだ。
この、愚者よは友を、いねむり先生は師を、2冊とも忘れてはならないなにかを感じ、考えさせてくれる。
と、書きつつ、ほとんど内容は覚えてない。
本を読んでも、なにをしても、ほとんどメモを取らない。
忘れるということは、身体に染み込んでない気がするし、必要ではない気もするから。
もし、またその事が必要になれば、また出会い初めての気持ちで接すればいい。
ウオッカの命日もそうだ。
朝、G-ZERO公式Twitterが呟かなければ忘れていた。
私は非情な男か?
あれほど、去年は涙していたのに。
人間は忘れるから生きていけるという。
あまり辛い思いをいつまでも抱えていては、前に進めず、生きていくのは難しいだろう。
だからというわけではないが、私はある時から、哀しみから逃れるために、全てを忘れてしまおうと思った。
哀しみだけ忘れて、喜びは覚えているなんてのは、少し卑怯な気がした。
初めてのダービー観戦はウオッカだった。
その時の記憶は薄れ、ほとんどないが、これは入場券を持ってるから確かだと思う。
カントリー牧場もなく、ウオッカの直仔は結果を出せず、ウオッカは何処に行くのか?
私は忘れよう。
そして、もう一度出会うのだ。
あの新馬は強い勝ち方だな。
血統はどうだろう?
そして、母系の奥にその名を見つけ、驚く。
そんなふうに。
だけど、私が忘れても、ある1人の男が生きている限り、毎年思い出すだろう。
私がある時期、哀しみからアルコールに溺れ、いろいろなところで不義理をし、厄介をかけ続けた日々があった。
そんな日々の中でも、「お前が元気がないと、俺はつまらないんだ」その男は言って、たまに会い飲んで打った。
愚者よに出てくる男のように、いねむり先生のように。
「ウオッカの命日だな。」
「ウオッカが死んでから何年経った?」
その男は季節がくれば、私に言い続けるだろう。
「ウオッカよ、お前がいなくなって淋しくてたまらない」
ほんとに天馬になってしまったけれど、死してなお私達を走らす。
私達がG-ZEROをゲートに入れることができたのは、ウオッカの死も一因であるだろう。
「好きでずっと見てきた競馬に、何かできないか?」
takuさんに血統評価改めてあげて欲しいなあ。
あの慈しみの目を通して、もう一度出会いたい。
katsuさん、俺たちはあの時、府中でなにを見たのかな?
ダービーのゴールを先頭で駆け抜けた牝馬は、なんだったんだろうね。
競馬から不純物を取り除いていくとウオッカになるんじゃないか?
私のを頭につけようかと思ったがやめた。
あの引力はなんだったんだろう…
競馬という星に、ウオッカという引力が働いていて、私はそこから離れられない。
酒を飲めば酔う。
当たり前だ。
競馬をすればウオッカに酔う。
しょうがないね。
しかしなんだ、この日本産のウオッカは、酔いもほどよくずっと飲んでられるな。
いつかみんなで飲みたいね。
人の溢れかえったダービーで。
(pirocks)
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