アナログかデジタルか?血統と博打抜きの競馬について、ふと思ったこと。

アナログかデジタルか?血統と博打抜きの競馬について、ふと思ったこと。

最近、Mリーグという、スポンサーがついて、本当の意味でプロ化した麻雀をよく見ている。麻雀と言えば、どうしてもダークなイメージがつきまとう。それは非合法な博打なイメージがあるからだろう。文学的にも評価の高い作家達も、たくさん麻雀にまつわる物語を書いている。阿佐田哲也、白川道、伊集院静、浅田次郎、黒川博行、藤原伊織もか?とにかく、たくさんいるし、ある。

競馬はどうだろう?寺山修司くらい?個人的にすごく印象に残ってるのは、誰が書いたか知らないけれどライスシャワー物語。あ、そういえば、井崎脩五郎、塩崎利雄も何冊か読んだな。不勉強で申し訳ない。

麻雀と競馬、どちらも博打な面が目立ち、一般的になりにくいのではないか?それがまた魅力だと言えばそうだが。しかし、Mリーグが発足し、競技麻雀で魅せて収入が得られるとしたら、これは将棋や囲碁と同じ、テーブルゲームのところにいける。しかも、一対一の競技である囲碁や将棋と違い、4人で行う麻雀には、それらより強く流れや紛れを感じるのではないか?その一手、一手を観戦者が考え、次を想像しながら楽しめるというのは、日本人の大好きな野球とも似ている。野球は攻守に分かれて争う、サッカーやレースは攻防一体だ。日本には攻守が分かれ、素人にも考える時間、想像できる時間があるものが合うのではないか?そんなことを思う。

朝のワイドショーの中で麻雀の特集があり、子供達の教室もあるという。近年、羽生善治以来の注目度で藤井聡太が出てきた将棋界の盛り上がり。競馬はいつまで武豊に頼らなければならないのか?また、競馬を博打以外の側面でメジャーにできないものか?そんなことも思う。

んで、重い枕からの本題。

よく麻雀ではアナログかデジタルかという話題になる。麻雀界では、アナログは旧時代の悪弊なイメージか?けっきょくは、自身の経験による感覚と、牌譜による結果データ論としての考え、その対立ではないかと思う。そこに結果として人ならざるものの意思、運や流れというものがあるのではないか。自然の中には突然変異と言われるものがあり、人間も自然の一部と考えるなら、人のやることに流れや紛れがあるのも当然かなと。個人的には麻雀のアナログとデジタルは、哲学と科学のようなもので、スタートは違えど、ゴールは似たところにあるようなものではないかと。

はてさて、競馬の血統はどうだろう?

一般的な血統のイメージと言えば、博打にまつわるものだろう。俺がデータ結果論的な血統と言うもの、種牡馬における距離、コースなどのデータ、つまりは結果のデータ血統イメージだ。しかしこれには弱点があると思う、生産に使えないのだ。父が、母が短距離馬だったから…という文言をよく見かける。ならば、短距離馬に長距離馬を配合すると、中距離馬ができるかといわれれば、そうでもなかったりする。その辺の説明がつくのが、我々が勉強してきた8代系のクロス理論だろう。もちろん、生産にも使える。名馬の再現性、その名馬を特徴つけた血をどんな形で、どれだけ持つか?そんなふうにして推測していく。ただこれには、科学的な裏付け、遺伝子やゲノムていうの?そんな裏付けはない。それに、未だにどの遺伝子が競争能力に影響しているかはわからないという。この辺は引用元が俺の記憶なので、正しいものはいつかtakuさんが、ちゃんと引用してきて話してくれると思う。

ここでなぜ、麻雀の話、アナログとデジタルというものを枕に使ったか?なのだけれど、東京1600ダートはヘニーヒューズを買え!みたいな血統論に飽き飽きしてるのよ。馬券を買うなかでは、そんなもんでいいんだろうけど。データてのは、収束していくところまで取って初めて科学的なデータでしょ?種牡馬データなんて、そこまでの数があるのかね?似非デジタルな感じがするんだよ。ステゴマックはニックス!とかさ。うんざりだよ。マック肌にサンデーならネオユニヴァースだろ?ヒルノダカール…まあ8代系の血統論にも科学的な裏付けはないけどね。でも、古今東西、過去の名馬と呼ばれる馬の血統を調べていくと、いくつかの共通した形があった。それを再現すれば、名馬を作れるんではないか?というのは、血統から生産する時の大きなヒントになると思うんだよね。マグニテュードだからミホノブルボンは短距離馬とかよりもね。

未だに覚えてるよ、その当時の馬券も買わないノーリスクな自称競馬好きに言われた言葉を。「オルフェーブルてどうなの?強くない?ん?あんたのやってる血統ではそうでもないの?なんで?強いじゃん?3冠馬じゃん?」へーへー、そうですね。仰るとうりでございます。まあ、そいつはたいして仕事もできねーし、安全なところから石投げる系のやつで好きじゃなかったから倍増したのもあるけどさ。

まあこうなってくると、俺は理屈屋のくせに感覚派だから言っちゃうよ。アナログかデジタルかなんて関係ねー、好きか嫌いかだ!俺は芸術家だ!とかさ。結論はね…俺はナリタブライアン見てしまったんだよ。すべてのブライアンズタイム産駒がナリタブライアンと同じ特徴持つか?ええ?ゆーてみーや?このくそかばちが!となってしまうのよね。悔しかったら血統家を名乗るなら、牧場に呼ばれるくらいになってみい!中島理論だって、IK理論だって生産に関わった馬が結果残してるじゃないか。たまたまか?チンチンか?箸にも棒にも引っかからんか?

ということで、麻雀でデジタルデジタル、競馬でヨーロッパ系のアメリカ系の血とかいうやつが、なんとなく気に食わんて話でした。

でも、競争結果は相対的なものだからね。だからと言って、金ヤンは160キロ投げてたとかいうつもりもないけど、スピードには表れない、速さと強さてのがあると思うな。にしたって、セクレタリアトみたいなのもいるわけだから、生産する時にその血統の模倣するのは、強い馬を作るヒントになるだろうね。すべては模倣からなとこは、どんなジャンルのものでもあるだろうしね。四辻で悪魔に魂売ったら、次な日からジミヘンみたいに空に絵を音で描けるわけやないやろうし。

ま、今日のとこはこの辺で許してやろう。てか、許してやってくれ。

んぢゃまた

(pirocks)
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