競馬、投票

競馬、投票

これを書いている時、まだ先週の競馬は終わってない。
何年ぶりだろう?
雪のために東京は土曜7レースで打ち切り、日曜は京都と東京は中止。
結果的には水曜に東京と京都が行われる予定。
重賞も行われてないのに、今何を書くのか?
それは…ある応援演説を聞いたからである。

先日まで行われていた衆議院選挙。
私は期日前投票だったので雪に当たらなかったが、日曜日に投票に行かれた方は難儀した事と思う。
そんな足元の悪い中でも投票に行かれた方は、この国の未来をちゃんと考えている方だろう。
私は不届きもので、ここ数年…数十年かな?
選挙に投票へ行かなかった。
嫁も子供もおらず、そんな人間がこの国の未来を考えるなど烏滸がましい。
未来のある、若い人たちで決めて欲しい、そんなふうな思っていた。
なぜ今更、投票へ行ったかと言われると…
単純に応援したい人たちが見つかったからだ。
正直、この国の未来など関心がない。
誤解を招くだろうが、そうとしか言いようがない。
この国の未来に私は生きてない。
生きてないということは、感じることも考えることもできない。
子供もいないので未来を憂う思いにならない。
団塊の世代の子、氷河期世代の一員として、親の世代の清算はしなければならないとは思う。
日本の文化と歴史は分断されたように感じている。
それは我々親子の責任だろう。
子をなすことなく、文化や歴史の受け渡しができるような知識も経験もない。
情けないが、そんなふうに生きられなかったし、能力もなかった。
だから、応援したくなる人が見つかると、一所懸命に応援することにしてる。

応援演説の内容だが、私が要約するというか、感銘を受けたところは…

「若者は投票に行って欲しい。」

「自分の応援する党でなくてもいい。」

「ポスター見たら、めっちゃ可愛い女の子がいたからでもいい。」

「それまでまったく政治に興味のなかった人も、政治に興味を持ちます。自分がわざわざ投票に行ったのだから。」

「そしたら検索し始める。自分の投票した人はどんなかな?」

「検索能力はバツグン、年寄りの100万倍ある。自分と同じ考えの人いないかな?と探し始めます。そうなれば、日本の政治に対する民度はあがります。」

「オールドメディアが押してくれるからこっちでいいんだ。国のこと考えなくても国会に戻って来れるんだ。そういうボンクラな政治家達は2度と国会に戻れなくなります。」

ああこれが投票ということなのだなと。
そして、これは競馬にも、あらゆるものへの入口への誘導に当てはまるなと。

「若者は馬券を買って欲しい。」

「競馬総合サイトG-ZEROを見なくてもいい。」

「CMに推しのアイドルが出てたとかでもいい。」

「それまで競馬に興味がなかった人も、競馬に興味を持ちます。自分がわざわざ馬券を買ったのだから。」

「そしたら検索し始める。自分の買った馬券の馬はどんな馬なのかな?」

そこからは以下同文。

去年あたりからSNSである、公営競技買う買わない問題?が解決だ。
見て買え!である。
見るだけでは参加したことにはならない。
現場に行って買うも良し、遠くて行けないならテレビ見ながらネットで買うも良し。
今はネットの時代だからね。

ふと思うと、それ以前を肌感として知らないが、勝馬投票券の売上が他の公営競技から頭ひとつ抜け出るまでは、他の公営競技と同じ博打臭が強かったのだろう。
他の公営競技と違い、実質親方日の丸の日本中央競馬会。
1970年代のハイセイコーから、1980〜90年代のオグリキャップ。
オグリキャップあたりまでは、数寄者や作家が語っていた競馬。
それ以降、爆発的な売上と共に、スポーツとしての面を押していったように思う。
そして今、スポーツと公営競技、博打の乖離があらわれたのかなと。
本来、日本では表裏一体のものが、世界へ、一般へとなると分離する。
分離すると、表裏一体のジレンマを抱える。

競馬を好きになってもらうだけなら、日本競馬でなくともよい。
各国のダービー、キングジョージ、凱旋門賞、ブリーダーズカップ、メルボルンカップ、ドバイワールドカップetc…
素晴らしいレースがたくさんある。
ヨーロッパでは、ただのスローペースではない、密集馬群の中の駆け引き。
アメリカでは、スタミナのなくなったものから脱落するスピードの追求。
日本にはない、素晴らしいものが見られる。
これはあらゆるスポーツで言えることだろう。
モータースポーツ、野球、サッカー、バスケ、ラグビーetc…
なかには、国内より国外の方が優勢なものもある。
F-1しか、MLBしか、リーガしか、NBAしか見ないなんて人も多いのではないか?
スポーツとして競馬を見て欲しい人はそれでいいだろう。
pirocks、おまえはどうなんだ?と言われたら?
俺は日本競馬に魅了された人。
なので、競馬を見て買ってね!となる。

編集長、takuさんと違って、俺が生まれた近くにJRAの競馬場はない。
地方競馬場よりも、競艇か競輪場の方が近い。
友達が持ってきたゲームで競馬に興味をもったが、彼のお父さんは競艇がメインで競馬は大きなレースだけだったと思う。
何度も書いた気がするが、町へ出る年になっても、ウインズは遠かったし、地元で馬券ファンがいたのならノミ屋があってもおかしくないなって感じ。
もちろん、ノミ屋はダメだけど、金曜の夜に飲み屋で買いに行く人に頼んでだと思う。
競馬場で馬券を買ったのは大井競馬場が初めてじゃないかな?
上京してから平日休みの仕事だったからね。
編集長とよく遊ぶようになるまでは、ほとんど博打はしなかった。
酒と煙草と音楽だけで、パチンコもしなかった。
競馬は好きだったし、主要レースは気にしてたけどね。
競馬好きていうか、8代血統理論好きだね。
俺が競馬好きになったのは、ネットで買えるようになってからだね。
たまにしかいけなかった競馬場が、ネットでいつでも買えるようになった。
なんてったって、ホクトスルタンの菊花賞は新宿のWINSやもんね。
それも、やりきりの仕事終わらせて駆け込んだんだ。
それ以前はほとんど馬券買ってなかったてことやね。
そこからは日本競馬を理解するために、酒と煙草銭以外は馬券買ったね。
パチンコと併用時代やね。
いつ頃かパチンコがつまんなくなって馬券だけになった。
今はボートレースを理解するために舟券と半々くらい…舟券の方が多いな。

さてと…
スポーツとしての魅力は、素晴らしいレースがたくさんあること。
博打としての魅力は、投票に信頼できる人馬であることだろう。
それには透明性の高い競技運営が求められる。
政治でも裏金やら、身内への処分の甘さやら、無責任なものは信をなくすだろう。
素晴らしいレースを連発するためには、下のクラスから激しく切磋琢磨しかない。
博打の面からしても、手抜きに見えるようでは誰も賭けないだろう。
スポーツの興行というだけなら、他にも魅力的なものもある。
はっきり言ってしまえば娯楽なので、世の中にあってもなくてもいいくらいのもの。
日本競馬は国が後押ししてきた歴史がある。
戦前は馬そのものを、戦後は娯楽提供と財源として。
まあ、偉そうに書いてみたが、個人的には競馬の未来もあまり考えない。
血統で好きなものは、ほぼ失われてしまったし、一滴残るものも消えるものだろうし。
博打としては、競馬界より競艇界の人間に賭けたいし。
彼らはスポーツマン、レーサーとしても、博打の駒としても堂々としてるしね。
願うことがあるとしたら、公営競技として賭けるに値するレースと信頼が保たれることかな?
んー、なんていうか競馬も、若い人がどんどん書くべきだな。
若い人の中に、歴史と文化を学び尊重する人が出て来ないかな?
根岸の一等馬見所がどんな形で入れるようになるかで、その辺のことは変わってくる気がするな。

もう俺たちの時代じゃない。
老兵は去るのみ。

あ、一つ覚えておいて欲しいのは、俺がのたうち回って生きてきて、競馬の重力に引かれて…
ウオッカのダービーに立会い、ホクトスルタンの単勝を握りしめて新宿で膝から崩れ…
そんなこんながあったからこそ、ジャパンカップのパンサラッサに、ダービーのドウデュースに立会い、感動することができたんだと思うよ。
競馬が好きで、馬券を握りしめていたからだと思う。
信じるものに賭ける。
それが手の中に握られている。
あの馬と自分、一つになったような気になる。
入場料払っただけじゃ、そんな気持ちにはならないと思うよ。

あー、船でも馬でも現場で紙で持ってたいのって…
手で握りしめたり、ポケットを上から抑えたりして、確定後に合ってるよな?買ってるよな?てなりたいんかもなあ…
あれは現地に行っても、スマホでポチポチとかレシートみたいなんじゃ味わえんな。
ん?俺たちみたいなのが宇宙に出たら隕石落とそうとか考えるのかもな?
やっぱニュータイプの若い子たちが変えていくべきだよ。

pirocks

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