菱田裕二は「ありがとう」と言った。

菱田裕二は「ありがとう」と言った。

「ロイくん、ありがとう。」 

「ロイくん、ありがとう。次やな。まだやな。ここからやな。」

「ゆっくり帰ろか。G1やよ。すごいよ、ロイくん。」

春天が終わり公開されたジョッキーカメラの映像。
何度も何度も、「ロイくん、ありがとう。」と繰り返した。
菱田裕二が初めてG1を勝った時、出てきた言葉はパートナーへの感謝だった。

サッカー少年だった菱田裕二は、家族で観戦に行った2004年の春の天皇賞をきっかけに騎手を目指したという。
そのときの勝馬はイングランディーレ。
横山典弘を背に見事な逃げきりだった。

テーオーロイヤルが初めてG1に挑戦した2022年の天皇賞春。
横山典弘の息子、横山和生が菊花賞馬タイトルホルダーで逃げ切った。
3コーナー2番手で果敢に追いかけるも、最後はディープボンドにも交わされ3着だった。

今年の春天は横山典弘とマテンロウレオの逃げで始まった。
テーオーロイヤルは、1番人気の菊花賞馬ドゥレッツァを見る形でレースを進める。
2週目の3コーナーあたりで、ドゥレッツァの手応えが怪しくなり後退。
菱田裕二とテーオーロイヤルは、迷う事なく先頭に並びかけていった。

ドゥレッツァはレース後に軽い熱中症の疑いがあると発表された。
ドゥレッツァが完調なら、最後の直線は最後まで激しい叩き合いとなったのではないか?
あるいは、1993年の春天のように、3連覇のかかったメジロマックイーンを直前半ばで捕まえ、あとは引き離すだけだったライスシャワーのようだったか?
ドゥレッツァがいなくてもテーオーロイヤルはゴール直前まで緩めなかった。
そこにはいないタイトルホルダーを捕まえにいってたのかも?
想像は自由。
馬はターフを駆け、俺たちは想像力の翼で追いかける。

そこにいるはずのない馬を追いかけたのでは?
そんな想像をさせたのは…小さな黒鹿毛。
血統研究所所長takuさんに、「最後のステイヤー」といわせた純粋長距離ランナー。
春天が行われる週中に4K映像になった、1993年と1995年天皇賞春。
ライスシャワーの勇姿がJRA公式YouTubeで公開された。
ただ鮮明にはなったが、杉本清の声はない。

「おー、いったいったいった。ライスシャワーの黒い帽子がいく。」

その声に、自ら動き出したライスシャワーに戦慄を覚えた。
1993年に俺はいない。
1995年にはいた。
ライスシャワーが、メジロマックイーンを、ミホノブルボンを捉えるなら、ここで動かなければ…と、動き出した。
そう感じたが、そんなわけはないだろう。
それでも、的場均をライスシャワーは動かしたのだ。

テーオーロイヤルの血統評価は1Bの中距離馬。
ステイヤーとしての資質は血統からは見られない。
G1を勝つようなものも。
4歳で完敗し、5歳を骨折で棒にふり、6歳となってもまだ強くなれると、厳しいレースと調教を繰り返した陣営の賜物だろう。
おそらくミオスタチン遺伝子は「T/T」で長距離適正があるのだろう。

「鍛えて最強馬を作る」
ミホノブルボンを育てた戸山為夫調教師の信条。
時代遅れなステイヤーは、時代遅れな厳しいレース、調教を乗り越えなければできないのかもしれない。
京都競馬場、淀の坂を2度も上り下り、3,000メートルをこす距離を走り切るスタミナは、一朝一夕で備わるものではないのだろう。

私達が学び探求してきた血統理論では解釈できない。
その素材、資質を見抜き鍛え上げた陣営、なによりも素晴らしい、強いレースを見せたテーオーロイヤルに脱帽。
鞍上の勝つんだという強い意志に応えられる、良く調教された強い馬。

具現化されたステイヤー。
ありがとう、テーオーロイヤル。

pirocks

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