牝馬のニックスというのをどこかで見かけた。
はて?いったいどういうことなのか?
おそらくは、その配合が牝馬に出るとニックスになるということなのだろう。
ということは、後出し系の成績から判断する系のやつということかな?
アレ系のやつか…
競走馬、サラブレッドの能力判定は競争結果でしか計れない。
ベストトゥベストでいけば、やはり競争成績が良いもの同士が良いはずなのだが…
あ、サラブレッドの能力を繁殖においてとかなら、また話は別か…
果たして、サラブレッドの能力判定は何をもってするのか?
これが畜産なら乳量、卵量、肉量など、農産物なら、糖度とか?
しかし、サラブレッドはどうなのか?
遅筋、速筋の量とかでは計れまい。
例えば、サクラバクシンオーはスタミナがなかったわけではないだろう。
そのスピードを活かすスタミナがあったからこそ、あれだけ迫力がある競馬ができたのではないか。
重種と違い、軽種の中でもサラブレッドは特殊なのだろう。
農耕や動力源としては使わないし。
もちろん、移動手段としても使わない。
ライフサイクルも他の畜産物より長い。
もちろん、遺伝子を解析し、人為的にライフサイクルを早めれば特定の方向に持っていくことは可能だろう。
だが、競争能力とはなんなのか?ということにぶつかるだろう。
そう考えると、後天的なもの、育成、調教、レース経験というものが大きいのかもしれない。
例え、サンデーサイレンスのクローンや、同じような遺伝子を持つ馬がいたとしても、サンデーサイレンスのような競争成績をあげるとは思えない。
気性的なものもそうだ。
人間の扱いにより後天的に歪んでしまうことはたくさんあるだろう。
あ、私はただの素人で、遺伝子学とかわからんし、ただの想像の妄想でものを書いてるだけだよーん。
サラブレッドの能力が競争を経てしか判定できないとすると血統とはなんなのか?
これは鶏が先か卵が先かみたいな話になると思う。
畜産において、近親交配でブレイクスルーし、戻し交配で固定化してきた歴史がある。
畜産分野では今は遺伝子解析が進み、繁殖群と遺伝子的プール、他が生産部分になるという。
今調べたら、後代検定とゲノムとかなんとかで、長い期間かかるが正確性の高いものと、短い期間だが正確性の低いものでミクスチャーなかんじらしい。
サラブレッドは自然交配で、8代遡って血統登録されているもの。
なぜ後代検定的な血統論ではダメか。
結果が出たことを評価するのではなく、結果が出る前に評価をできなければ生産に使えない。
いや、時間をかければ使えるんだけど、おそらく多様性が失われてしまう。
神々の遊び、悪戯なとこ、その誕生から博打が関わる、不確定な未来を予測するというところ、これがまさにホースレースでサラブレッドではないか?
もし、能力的にイコールかニアリーなら、中山コースに向く血統とかあるかもしれない。
でも、サラブレッドの生産というのは、単純に誰よりも速い馬を作るということで、ある限定された中でということではないだろう。
スプリンターやマイラー、競争距離も細分化、分業化しているではないか?
この部分はビジネスな要素が強いのかなと思う。
例えば、ダービーを勝てるような馬しか必要とされないなら、その適性を見せない馬に関しては誰が価値を認め投資をするのか?
それともビジネス的に処するのか?
競馬が興行になり金になることがわかったなら、資源的、資金的余裕を持たせるために、多様な価値観を持たせるのではないか?
例えるなら音楽業界か?
ブルースやジャズがロックになり、世界的なヒットとなる。
そこにお金が生まれるとなれば、そこからはビジネスだ。
何をどう言おうがすべてはポピュラーミュージック、ポップスの中での話。
レゲエだってヒップホップだって。
メインストリームにカウンターカルチャーで、新たなビジネスチャンスだ。
もちろん、創造的な進化で分科なことを否定するわけではない。
話を元に戻そう。
別に私は8代系血統理論でなくても良い。
ただ、生産に使えることは最低で最重要条件だ。
血統から過去の名馬、これは後代検定が済んでるものととらえる。
そこから何を考えるか?
突然変異を待たないなら、近親交配による資質固定は大切だろう。
遺伝子解析が進んでも、どの部分が競争能力に発揮、必要とされる部分の判定が難しい。
やはり、血統を遡って、過去の名馬を再現することではないか?
血統理論とは非科学的でよいのではないか?
だからこそ、自然交配のサラブレッドの血統には浪漫がつきまとうのではないか?
サンプル数の少ない中での後代検定的な血統理論が好きな人は、生産時に評価をする血統理論は嫌いだろう。
それで馬券が当たるの?とかね。
私はじゃけどしたんか?と言うがね。
汚い言い方をすれば、やらしてくれた女に惚れるてかんじ?
わしゃ、惚れた女とするんが好きじゃ。
惚れるのに理由もクソもない。
高い血統評価だったから、ライスシャワーやナリタブライアン、ウオッカから目が離せなかったのか?
もちろんそうだ。
しかし、例え血統評価が低くても、あのパフォーマンスを見せられれば目が離せなくなるだろう。
こればっかりは自分の勘を、感性を信じるのみだ。
だが、生まれた時には血統評価が出ていて、それがいわゆる開花したからこそなのかもしれない。
まあ、私は何度も言っているが、オルフェーヴルやゴールドシップにメジロマックイーンは感じない人間だ。
ゴールドシップはロベルトがあって、ノーザンテースト、ザミンストレルまできてニジンスキーなものを感じ、そこにメジロアサマかぁ…てなもんである。
ふと思ったが、マルゼンスキーの母シルにメジロアサマとか…
欧州系、米系とか言うなら、メジロアサマはなんなのか教えて欲しい。
ま、とにかく後代検定的な血統論は、レースが終わった後に当たり馬券を買うようなもんだ。
サラブレッドは駆ける、我々は不確定な未来を予想し賭けるのだ。
だからこそ結果が出た時に価値があるのだろう。
モータースポーツと同じだな。
No. 1マシンがいつも勝利するとは限らない。
タイムトライアルではなくレースだから。
まあフットボールチームでも野球でも何でもいいんだけどね。
レースは勝負。下駄を履くまでわからない。
逆に言えば、印のついてないカードでゲームするからこそ興奮する。
ということで、血統理論も不確定な未来を予測するためのものだってことだな。
私的には、だんだん本質に近づいてる気がするのだけど。
1日1クリック!皆さん、応援よろしくお願いしますm(__)m