凱旋門賞の夜

凱旋門賞の夜

凱旋門賞が終わり、一夜明け日常に戻っている。
レース後から感じていた違和感というか、何をどう受け止めれば良いのかわからないまま。
こんな時に誰かそばにいたら…酒が飲めれば…
少しはマシなはずなのに…

SNSやニュースサイトからいろいろと流れ込んでくる。

「血統の問題じゃない。」

「芝を走れるダート馬を連れていけば…」

「ロンシャンを経験しなければ…」

「長期滞在で…」

俺は思う。
素人が思いつくようなことなら、すでに試しているだろう。
外野、特に金を出さないやつらは好き勝手に言える。
もちろん、俺もその中の1人だが…

レース後の、藤田オーナー、矢作調教師、坂井瑠騎手のインタビューを見て、自分が感じたものの正体が少しあらわれたかなと思った。
それぞれに人生があり、夢があり、仕事があり、家庭があり…
生きることは苦しいことの方が多いだろう。
毎日、毎日、なんでこんな重荷を背負って歩かないといけないのか…
生きていなければ、こんな苦労もせずにすむのではないか?
いっそのこと…
そんな日々の中、ふとした日常の一瞬、何かを成し遂げた一瞬、何かに触れた一瞬で、救われた気になってまた歩いてく。
また足元を掬われることになるのだが、そんな自分を救ってくれる人もいる。

エルコンドルパサー、ナカヤマフェスタ、オルフェーヴル。
本当にあと一歩だったと思う。
ディープインパクトでも勝てなかったレース。
1999年のエルコンドルパサー以降は、毎年のように参戦している。
その前は3頭。
1969年スピードシンボリ、1972年メジロムサシ、1986年シリウスシンボリ。
参戦することが難しかった時代だろう。
挑戦し続けるから、遠征のノウハウ、いろんな経験が蓄積されている。
大きな日本競馬というダムは、もう溢れ出てしまうのではないか?
それが、武豊ではなく、坂井瑠星に導かれた、凱旋門賞馬の全兄弟シンエンペラーではないか?
俺はそんなふうに感じてたのかもしれない…

日本調教馬、日本生産馬、日本人騎手の凱旋門賞制覇はいつか成されるだろう。
挑戦といいつつ、忘れものを取りに行く感覚かもしれない。
日本に近代競馬が持ち込まれ、何年も何十年も馬鹿にされ騙され、それでも挑戦をやめなかった先達。
そんな先達の心意気を、矜持を受け継いだ挑戦者たち。
やむことのない日本競馬の律動。
その律動はたくさんの旋律を産み、世界へと還っている。

香港でもドバイでもサウジでもアメリカでもヨーロッパでも勝ってるじゃん?
適性の合わない凱旋門賞なんて諦めたら?
じゃけどしたんか?
無理じゃ思うたら諦めんるんか?
夢見るのやめるんか?
そんなんで生きとって面白いか?

矢作先生は非常に感情豊かで、隠せなくて溢れ出させてしまう人に見える。
敗軍の将として、馬場のせいにもせず、非常に残念だ、敗因はわからないと語った。
そんな人だからこそ、多くの人が応援したくなるのだろう。
矢作先生の喜ぶ顔が見たいと。
シンエンペラーはセールで当時のレートで約3億円だったという。
そのセールで飛び抜けて良く見え、どうしても欲しかった馬でオーナーにお願いをしたという。
勝者も敗者も、なんと多くのものを背負っているのだろう…

レースが始まる前は余裕があった。
好勝負必死だと思っていたし、負けたとしても坂井瑠星にはまだ早いのかな?
やっぱ最初は武豊だろ?なんて思うだろうと。
じゃけど、やっぱなんか悔しいんよね。
思っとる以上に期待しとったんと思う。
頭ではわかっとっても、心まではそうはいかんのよ。
そこまで賢くも、阿呆でもないんよ。
じゃけぇね…
矢作先生…あやまらんで。
見りゃあわかるけ、誰も言葉にできんけん。
じゃけど、みなわかっとるけん。
わしらには1つ1つ、ちゃんと刻まれとるけん。
それぞれの人生があって、考え方や生き方があって、ちゃんと刻まれとるけん。

その日は来る。
俺の身体がなくなっとるかもしれんけど。
ちゃんとその日は来る。
ロンシャンの真ん中、1番高いところに日の丸が上がり、君が代が流れる。
それを見た時に、わしらは日本人じゃと思う。
右も左も関係ない。
次の日、仕事場やらで…
「競馬好きなんじゃろ?すごいことが起きたんじゃろ?」
それを聞いて誇らしげに、わしらは語り始めるんよ。

日本競馬を。

じゃけ、矢作先生…
あやまらんで、頭を上げてください。
先達の、あなたの、わたしたちの夢は、夢でなくなる日がくるから。

pirocks

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