真剣に向き合おうと考えると、好きという気持ちがわからない。
正確に言うと、好きと言って良いのかわからない。
永遠なんてないし、明日まで待たなくても、言った2秒後くらいに気持ちは変わっているかもしれない。
自分が思う好きということと、他人が思う好きでは少し形が違って、同じ好きを共有できなかったりする。
一緒に遊んだり、楽しんだりするためには、同じくらいかそれ以上の熱量か知識量がないとつまらない。
どうしても相手方に合わすようになって長続きしない。
それなら1人でやった方がいいとなる。
先々週、久しぶりの人にメール。
近くを通りかかる予定になったから、会えれば会おうなんて。
そこから近況を、わりと一方的にし、今思えばいつもの悪い癖だなとは思うのだが、返ってきた言葉に救われた。
出会えるかは縁だと思うけど、自身も含め周りの人たちと同じような地獄を生きているのだろう。
やりとりが何回かあった後、あるところで返信ができなくなった。
どう言葉にすれば今の感情を正確に伝えられるのか?
果たして伝えられたとしてそれをする必要があるのか?
職場、身内、友達、どこでも砂山を作って壊すような真似しかできない酒乱の気狂いが、これ以上人と関わるようなことをしてはならないのではないか?
出家しかないような欲まみれの汚れた手で、今さら言葉を使って何をしようとしているのか?
人間の姿に化けて生きる妖怪のような人たちの中で生まれ育ち、人間になりたいとあらゆるところに現れては怒られた。
「なんか用かい?」と言われると何もできなくなり、金を払うと「なんか酔うかい?」となり、いつのまにか溶解人間からの要介護妖怪に…
メールの相手に話を戻す。
その人は初めて会った種類の競馬好きだった。
ただ一頭の馬が好きで、予算と時間が許されるなら1人でどこまでも会いに行くというような人だった。
推し馬がいるとか、写真を撮るとかの人たちは承認欲求で最前列を取ったり、関係者と繋がりたかったりするんだろうなという偏見を俺は持っている。
だけど、その人は自分と馬だけの世界を求めてるだけ。
その衝動、原動力、行動力が何に由来するのかはわからないが、その人のような存在がいることに驚いた。
ここ何年か、好きってナンダ?俺にはわからない。
もともと、よくある好きと伝えあったりするシュチュエーションですら、ルースターズの恋をしようよを発動させる俺。
生物としての欲求を綺麗事に言い換えただけじゃ?てなもんである。
「そんなにうちとやりたいん?どんだけうちのこと好きなん?」とはならない。
「うちはそんな軽い女じゃないけん。風俗いきぃや!」となるであろう。
僕の心を取り戻す旅に出ようと思ってる俺は、また好きってナンダ?と思い始めて返信ができなくなった。
競馬の話ですると、このコラムにG-ZEROじゃない人で最多出場記録を更新し続けてる男こと「つのちゃん」なんかは、ただの博打好きて感じ。
小さい頃から受けた父上の英才教育の賜物。
競馬場の近くに生まれ、公営競技としての競馬を嗜む父上がおり、すんなりと競馬は博打となった。
「つのちゃん」は、血統は興味なし。
長年の研究による馬柱読み、どんな競馬をしていたか?というだけ。
話は聞くが、馬券に役に立ちそうでなければ…
競馬好きという表現より、博打競馬、公営競技競馬好きという感じ。
一緒に安心して朝から競馬ができる頼もしい男。
プロレスで例えるなら…新日本だな。
公営競技ストロングスタイル。
血統研究所takuさんはどうだろう…
科学者よりは歴史研究家といった感じか?
自分の思いを正確に表すために、言葉ではなく数字で表そうとする男。
サラブレッドの血統天気図みたいな、世界的視野で変動を見守っているマニア?
競馬好きというか、血統愛てな感じ。
もうそれは好きというレベルじゃないよね?
ランニングゲイルだの、トウカイテイオーだの言いながら、たぶんインディアンネームはミルリーフに脳を焼かれた男。
自分で書いておいてアレだが、科学者より歴史研究家より気象予報士だな。
これからは血統気象予報士と認識しよう。
過去のデータを分析し、近々から遠い未来まで予想する。
好きになったから知りたかっただけなんだろうけど、あまり大きな声では言えないが、ちょっと逸脱した好きだよなあ…
表現者よりの研究者?マキャベリ?
プロレスで例えるなら…全日本か?
愛のプロレスファンタジー。
この世に類を見ない競馬総合サイトを作り上げた編集長はどうだ?
「なんだよ?類を見ないって!俺はわりと桜木見たぞ!」とか言いそうな男ではあるが…
結論から言っちゃう。
なんで無理矢理プロレスに例えてたか?
ハイブリッドレスリング、パンクラスだ!
博打と数字が大好き。
起きたら競馬、競馬が終わればナイターボートレース。
どんぶりと賽子があれば夜も怖くない。
だけど、朝まで名勝負、名馬の血統で飲める男でもある。
ただの負けず嫌いで、余裕を持って相手を制したい男という噂もある。
陰で勉強してるタイプ?
推し!アイドル!とかも理解、共感どころか共鳴できるし…
まさにハイブリッド競馬、G-ZERO!である。
競馬塾塾長的な礼儀作法も素晴らしい。
競馬場に入るときに一礼、馬頭観音で手を合わせ、ウオッカ像に会いに行くところから始まり、どんなに負けていても退場の際は一礼。
編集長にとって競馬場は道場なのかもしれない。
競馬道まで来ると、これまた好きを超えちゃってるよね。
こんな変…危ない変態って書きそうになったわ。
こんな人たちと競馬をしていると、自分がまともな人間であることに気づく。
暇があれば予想したり、血統表を眺めたり、金があれば隙を見つけて打つ。
そんな人たちとは違うなと思う。
俺はなんか、書くための競馬になってるのかなと思う。
競馬に書かされないのであれば、書く事はなくて当然なのにね。
これからどうなるかわからないけど、編集長の叱咤激励で休む事なく1週間に1本ペースで来れた。
おかげそまで、ある程度は書く体力がついたと思う。
これからは病気になれば休む。
書くことがなければ書かない。
書くことをお金しようとも思わないし、なによりも詩人で自由でありたい。
どれだけ文字数が増えても小説にはならない。
俺は俺の気持ちすらわからない。
そんな俺を他人が好き勝手に言えばいい。
どれだけ書いても文章は上手くならないし、才能もない。
もっと情熱がある人から滲み出た言葉を聞きたい。
技術でも才能でもAIでもないものが。
今はそんなふうに感じ、思ってる。
それだけで良いのではないかと思う。
風来坊はふらふらと歩くもんだろうし。
どうしてもラブソングのような、ラブレターのようになってしまう。
届くか届かないかはわからないけど、これを返信とさせてもらう。
やったこともない、見たこともないことはわからない。
だから、触りたくなる手で書く。
どこかで俺に出会ったら、男なら黙って酒を飲ませて欲しい。
女の子は…抱きしめて押し倒して無理矢理…
たかが競馬、されど競馬。
いろんな好きの形があって、それぞれの人生がある。
点が線になり、線が交わっているように見える。
だけど点が重なるだけのこと。
愛憎入り混じる、点の濃淡が深さなのかも。
競馬場に行かなくなっても、レースを見なくなっても、馬券を買わなくなっても…
俺たちがいなくなっても、サラブレッドは走り続けていることだろう。
本能のままに走る。
そんなふうに生きていたい。
このコラムを、それぞれの競馬ファンの夢に捧ぐ。
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