どこから、何から書けばいいのかわからない。
ちょっとしたことから知り、調べていくと符合する日にちにが2つあることを知った。
11月1日と5月1日だ。
おそらく、皆さんはなんとも思わないと思う。
しかし、私には…
先に事実を書いてしまおう。
1987年11月1日
初めて鈴鹿サーキットでF1グランプリが開催され、決勝レースが行われた。
1994年5月1日
F1サンマリノグランプリでアイルトンセナがレース中に事故死。
北海道、稲原牧場でサイレンススズカが産まれる。
1998年11月1日
F1鈴鹿グランプリ決勝で優勝したミカハッキネンが、自身初となるドライバーズタイトルを獲得する。
東京競馬場で行われた天皇賞・秋で、レース中の骨折によりサイレンススズカ予後不良安楽死。
音速の貴公子と呼ばれたアイルトンセナとサイレンススズカ。
同じ日に、アイルトンセナは死に、サイレンススズカは産まれた。
サイレンススズカの二つ名は、異次元の逃亡者ではないか?
そう言われる方もいるだろうが、私の中でサイレンススズカは逃げ馬ではない。
他馬とスピードレンジが異なっていただけだと思う。
もうこのコラムは、ここまでで良いのではないかと思う。
もうこれ以上書くのは辛い。
ダービースタリオンで競馬に興味を持った私が、上京してkatsuさんに出会うまで、競馬から離れた理由だと思うから。
まったく見なかったわけじゃないんだけど、当時は今より情報が得難い環境だったしね。
もちろん、若く貧乏で才能もなく、都会で生きていくことに必死だったからというのもあるとは思うが。
同じチーム、マシンでアイルトンセナを予選で上回る走りを見せていたミカハッキネンは、1995年のF1最終戦で再起不能と思われるような大クラッシュに見舞われる。
そこから度重なる不運により勝利の女神から見放されたかと思われたが、1997年の最終戦で初勝利を飾り、翌年の1998年11月1日にワールドチャンピオンになった。
私のサイレンススズカの思い出は弥生賞。
サイレンススズカを初めて見たレースが、ランニングゲイルの強さに痺れたレース。
おそらく、このシーズンあたりの話をG-ZERO面子ではじめると、酒が足らなくなるし、最後はみんな堪えきれなくなるんじゃないかな?
馬主、調教師、そしてなによりも彼だけが知る彼がいたであろう武豊。
その心情を察すると…
幸運と不運は背中合わせで、命が運ばれていった先の話なのだけど、あまりにもやるせなくて、例えそれが天命だったとしても…
アイルトンセナの死後、モータースポーツの世界では安全性の確保、追求が進んだ。
サイレンススズカの死後、JRAは故障の少ない、より良い馬場コンディションを作り出すために様々な工夫改良を重ねている。
若い頃は、速すぎてスピードの向こう側へ行ってしまった、そんなふうに思っていた。
セナもスズカも。
スピードというものは、速ければ速いほど危なくて美しいのか?
しかし、それで彼岸にというのが、ないようにが我々の悲願だろう。
音よりも速いものが見たいが、光になってしまっては見えなくなる。
スピードと安全性、レースにおいてこれほど矛盾しているものもないのではないか。
マシンで争っているなら、レギュレーションでスピードを抑制することはできるだろう。
しかし、サラブレッドは生き物だ。
機械ほどの進化スピードはないにせよ、生物的限界があるにせよ、進む方向は同じだろう。
なんせ、徹底的に改良されたエクウスがサラブレッドなのだろうから。
世の中には、忘れてはならない日というのがいくつかある。
一年を無事に過ごせたら、その日は安らかな気持ちで祈り過ごす。
人によっていろんな日日があるだろう。
F1ファンにとって5月1日だったり、競馬ファンには11月1日だったり。
もちろん、忘れてても良いと思うんだ。
だけどさ、世の中てだいたい先人の犠牲の上に成り立ってるんだよね。
何故ダメか?意味なんかわからなくても良いと思う。
黙って年寄や、知恵のある人の言う事に従って、恩恵に与ってれば。
ただ忘れようとも忘れられない人たちがいて、時が癒やしたであろう哀しみを抱えて生きていることは、忘れてはならないと思う。
すべては今を生きているもののためなのだろうから。
音より速く光となり、私たちを照らす光は消えず。
ありがとう…
忘れらんないよね…
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