追悼 藤岡康太騎手

追悼 藤岡康太騎手

レース中の事故により意識不明だった藤岡康太騎手が亡くなった。
亡くなってしまったと言う気持ちが強い。
多くの人の祈りはとどかず、彼の姿を競馬場で見ることはできなくなってしまった。

ご冥福をお祈りします。

その発表から、関係者の追悼コメントの多さに、素晴らしい人間性を持った人だったんだなと…
個人的にはあまり思い入れもなく、マイルチャンピオンシップのナミュールでの騎乗に驚かされたなくらい。

SNSでファンの哀しみの声を多く見かける。
辛いだろうし、競馬が見れなくなる人もいるだろう。
私もサイレンススズカの後、編集長に出会うまでは横目で薄目で遠くから見るくらいだった。
時間が解決するかもしれないし、そうでないかもしれない。
ただ無理をして欲しくないと思う。
競馬以外にも楽しいことはたくさんある。
競馬が辛いなら他のことで楽しく過ごしてほしい。
気持ちに折り合いがついたら、また競馬に戻ってきてもいいしね。
もちろん、泣きながら藤岡康太騎手が愛した世界を見つめ続けるのも。

身近な命が失われて、泣きながら仕事をしていた時期、ある男にこんなことを言われた。
「おまえが哀しいと、俺たちはつまんないんだよ。」
その時はなんて酷いことを言う人だと思ったが、不器用だけど私を励ましたかったんだと思う。
今の私なら、「なら俺を楽しませろよ?」とか言い返す気がする。
またある時、ある男に仕事の悩みを相談した時に言われたことも思い出す。
「今日は飲んで話を聞いてやれないけど、とにかく飯を腹一杯食えよ。腹が減ってると碌なこと考えないからな。」
哀しいとき、何も食べる気にならないとき、それでも身体に栄養は必要だと思う。
だからとにかく食べてね。
まわりに哀しんでる人がいたら、一緒にご飯を食べて。
上手いこと言う必要もない。
ただ寄り添ってご飯を食べて。
哀しむのも体力がいるから。

競馬場に行った時、馬頭観音に全人馬の無事をと手を合わせるのだけど、秋天の武豊騎手の負傷以来、改めて気持ちを落ち着けてからお祈りしてた。
昔は全馬無事にだったけど、今は全人馬。
モータースポーツ見る人ならわかる言葉なんだけど、レースアクシデント、誰のせいでもない事故はしかたない。
レースをしてればあること。
故意に相手を危険に晒すのは絶対に許してはならない。
運転、操作を仕事にしてる人には当たり前だろう。

安全の追求は、なくならないものをなくすこと、石橋を叩いて叩いて壊して渡らない気持ち。
そんなことを最近思う。
勢いは進める時は良いが、止める時には倍以上の力がいる。
いつも大丈夫だからは、運が良かっただけ。
だからそれが起きた時に、後悔しないように出来ることはすべてやるのだ。

こんな時に伊集院静が生きてれば…
博打、競馬、スポーツetc、造詣が深く、たくさんの哀しみから美しい言葉を書かれる人。
言葉にすることで、書くことで、いつでも寄り添ってもらえるのに…

競馬で仲良くなった人が、父親を亡くされた時に歌を作って送った。
我ながらアホなことをしたと思うけれど最後に。

かなしいのは
かないしいので
でもご飯はたべなきゃね

かなしいのは
しょうがないけど
でもご飯は食べてよ

かなしい思い出ばかりじゃないでしょう

俺は今週末も競馬場にいると思う。
あそこで風に吹かれるのが好きだから。

pirocks

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